『“1回生”つんく♂ 絶望からの再出発』で見せた人間・つんく♂
先日9月13日、NHKドキュメンタリー『NEXT 未来のために 「“1回生”つんく♂ 絶望からの再出発」』が放送されました。
今年4月に声帯摘出を公表して以来、いや、2014年の春先にがんであることを発表して以降、ほぼSNS越しでしか接点の無かったつんく♂さんの今の姿を、ファンはかたずを呑む思いで見守りました。
特徴的だったのはやはり、LINEの吹き出しだけで交わされるインタビュー。今どき、インタビューに字幕がつくのは当たり前ですが、応じる声が一切無いのは何とも不思議です。字幕以上にテキストの威力を感じられた気がしました。
毛色の違うドキュメンタリー
最初に興味深いと思ったのは、ド頭の質問。
ディレクター「どういう気持ちで取材に応じてくれたんでしょう?」
--想定外の質問だったか、いきなり困った表情のつんく♂さん(笑)
ようやく出た答えは以下の通り。
「4月から数えて4ヶ月がすぎて」
「あっという間だったような気もしますが、」
「すこし心も落ち着いて、」
「ある程度冷静に自分の事も話せるかなと思ったからかな。」
--LINEの画面を対話のインターフェイスとして使用。
答え自体は、まあそんなところだろうといった感じですが、大事なのは答えよりも、迷ってからLINEにタイピングするまでの数秒をノーカットで流したこと。実際とても長く感じました。ここでいきなり、つんく♂さんのリアルな心情が伝わってきた気がして、「ああ、彼は生きてるんだ……」と妙に納得してしまいました。
普通のインタビューなら、返答待ちの部分ってカットすると思うんですよ。ただでさえ短い放送時間だし、なるべく取材した情報を織り込みたい。でも、この間(ま)こそがこの番組に必要だったんですよね。
というのも、実は事前に気になっていたことがあって、この番組の情報を「NHK科学文化部」のアカウントがツイートしていたんです。*1
【NEXT 未来のために「“一回生”つんく♂ 絶望からの再出発」】つんく♂さんのドキュメンタリーです。このあと午後1時5分から(大分県除く)放送です。http://t.co/MXOyCx0dlO
— NHK科学文化部 (@nhk_kabun) 2015, 9月 13
エンドロールも気になって確認したのですが、『ニュースウオッチ9』を担当してる人たちが作っていました。実際、初回放送が予定されていた9月9日 *2 には、同番組で予告ダイジェストのような形で放送されていたようです。
※以下リンクはWEBテキスト版
『おはよう日本』『ニュースウオッチ9』などで、5~10分ぐらいの特集映像をよく見かけますが、今回の30分もそんなトーンだったんですよね。とにかく、芸能人のドキュメンタリーとは少し毛色が違っていました。
ドキュメンタリーって、編集する際にどこを切り取って見せるのか決める時点で、広義の「演出」が入ると思うんです。だから、よくある芸能人のものだと、その人の特徴的な部分をいくつかピックアップしてナレーションをつけて、「だから凡人とは違うのだ」という味付けにすると思うんですよね。
でも、芸能人としての側面はサラッと流す程度で、これはあくまで知らない人への前提知識を補う説明に過ぎません。*3
逆に、このドキュメンタリーが伝えようとしていたのは、凄い人ではなくひとりの人間・つんく♂が、大変な目に遭った人なら当たり前に抱く不安や絶望に直面し、それをどう乗り越えたかということでした。
ひとりの人間・つんく♂
インタビューの中でも、彼は自らを「スーパーマンにはなれないけど、すぐその下でいつもテンション高くがんばってる奴」と説明していました。
ファンから見れば「奇才」であり、世間一般から見れば「変人」であるつんく♂ですが、彼は何より「ひとりの人間」です。命の淵を見たら怖いし、迷うし、なんで自分が大病を患うのかと弱り、あれだけの功績があっても自分の仕事が無くなる不安を抱えている。そういった葛藤の部分がインタビューで切り出されていきます。
「僕のプロデュースの場合は、すべて僕が録音する「仮唄」と呼ばれるものを歌手達が聞き込んで、それを覚えてレコーディングにのぞむって方式だったので、」
「それが出来なくなるということは、僕の仕事がなくなるのかな」
「そんな気持ちではありました」
「こんな僕への需要は、もうなくなるのかなと」
「そういう不安はありました。」
「ある種、身ぐるみ剥がされたような、そのな(そんな)気持ち」
「仕事を失うという恐怖はすごくありました。」
--弱い心情を推し量る上で、テキストのみでの回答は実にリアルに映る。
多くの人間が大なり小なり挫折を経験しますが、吐露される彼の思いがテキストというシンプルな形で画面に出ると、「歌手が声を無くす」という数奇な運命よりも、「病気」「挫折」「仕事の不安」といったこちら側により近い事柄が気になってきます。
>『NEXT』 私以外にもTLで自分語りがチラホラ。 それだけ我が身を振り返ってしまう、人生に迫って来る内容だったということですね・・・。
— TK (@tk3838) 2015, 9月 13
芸能人の経験はどこまで行っても別世界ですが、挫折を感じ家族を大事に思う「ひとりの人間」として捉えると、途端に共感する部分が見えてくる。そこにこの映像の狙いがありました。
妻がいるから、家族がいるから
LINEを介したインタビューから一転、画面に現れたのは、つんく♂さんのストールを直す女性。
ナレーション「妻の加奈子さんです」
初めて公の場に姿を見せた奥さんを見て、ハッとする想いでした。更には元気に遊ぶ子どもたちの姿も。
結婚して以降、SNSや公式動画などでおどけて話す際に、家族について触れることが増えました。そこから「家族」の概念は楽曲にも活かされていきます(参考:隠れた名曲『雨の降らない星では愛せないだろう?』の記憶 - テレ娘。)。
しかし、今思えば、やはりプライベートはヴェールに覆われていたよなあと思います。変な言い方ですが、「ホントに家族が居たんだ……」という不思議な感情さえ湧きました。出ないで済むならそれに越したことはないけど、今のつんく♂を説明する上で家族の存在は不可欠なのですよね。
そこで語られたこと。奥さんは「歌が好きだったから」「家でも鼻歌を歌ってたから」と、あくまで家庭の中での歌が好きな主人に対する残念な思いを、子どもたちは入院していた時にかけた言葉や、パパが好きだとかパパはすごいとかいう気持ちを。あくまで家族の目線での純粋な言葉でした。
また合わせて、入院中の病室でのやりとりも紹介されます。
ナレーション「手術の後、絶望の中に居たつんく♂さんを励ましたのは子どもたちでした。入院中、子どもたちが使ったメッセージボードです。」
娘「すきだよ!パパははたし(私)のこと好き?ここに書いて」
つんく♂「すきです」
娘はパパが好きで、パパも娘が好きだという、いつもリビングで交わされていたであろう家族の対話。そんな気持ちをメッセージボードの絵と文字で表していたのだそう。つまり、健やかなる時も病める時も変わらずに、彼の家族は心からパパのことを愛していた。そんなことを、最も弱っている時に知ったのです。
長女「パパがんばってね パパが病院からもどってきたらすごいうれしくなるよって(メッセージボードに)書いた」
長男「パパは!やさしいし!パパは強いし!パパはスポーツじょうずだし!パパはえらいし パパはカッコイイ です」
次女「あと パパはみーんなのこと好きだし! あの パパは怒んないけど パパやさしいですぅ」
病気で多くを失う中で唯一得られた、しかし欠けがえのない家族の愛情。その大切さにあらためて気付いたひとりの人間、ひとりのパパ。何のために生きるのかという究極的なところまでたどり着きました。
「いろんなものが心の中で崩れていったときに」
「すべてがなくなっても、家族が居てくれたら、もう何も要らないと極論にたどり着いたような気がしてます」
そうして、不安や悲しみの中で生きる意味を見出したのです。
ナレーション「家族が居れば何も怖くない。つんく♂さんは再び歩き始める決心をしました。」
再出発のはじめの一歩
番組の後半では、息を吹き返した彼が次に向かう人生の目標について語られます。
先日出版された手記『だから、生きる』の第一章でも紹介されている通り、復活のターゲットとしていたのが母校・近畿大学の入学式で、自らを「1回生」と名乗ることを計画しました。
ナレーション「再出発の場として選んだのは母校の入学式でした。この日、声を失ったことを初めて公表。スクリーンにメッセージを流しました。」
※この告白は学内だけでなく世間にも大きな反響を呼んだ。
(参考:祝辞全文)
同じ門下の同じ1回生として、ともに頑張ろうとエールを投げかけた記念のこの日、彼はブログで興奮気味に報告しています。
その気持ちは、一日の流れを説明した本文以上に、P.S.にあらわれていたように思いました。一つの仕事をやり遂げた達成感が見てとれます。
最後はギターで校歌の演奏にも参加し、新入生在校生の皆さんと一つになれたように思います。 (中略) なにはともあれ、近畿大学新入生の皆様おめでとう! お互いファイト! P,S:演奏してくれた吹奏楽部のみんなもほんと素敵でしたし、演奏も実に心地よくかっこよかったです。
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「1回生」の仲間と迎えたこの経験は、次に向かう大きな力となります。
「身ぐるみ剥がされた僕が、一から出直し」
「世の中のみなさんと一緒に何か、未来に残せたらなと思いました。」
「学生の時」
「何もないところから始めた 大阪城の公演(公園)の中での路上ライブ」
「これも本当にゼロから作って行ったし」
「ただ、その自分で作ってきた歴史にしがみ付いててもダメだなって思いました。」
「もう一度、最初から」
「そうするとまた違う何かがみえてくるように思いました。」
手記の中で、入学式に向かう車窓から見える大阪城公園にインディーズ時代を思い出したり、チアリーダーの達成感に共感したりといった思いを語っていました。久しぶりの外の世界との接触は、とても良い刺激をもらう場だったのですよね。
1回生として始めること
入学式で発表した「こんな私だから出来る事。こんな私にしか出来ない事。」とは何なのか。その第一弾は童謡の制作でした。
心身ともに死の淵にいたつんく♂だからこそ表現できる、引き戻してくれた家族が居なければ決して表せない感謝の気持ち。そんな思いをそのまま楽曲にあらわしました。
--「ほぉら~」と歌っていたクミコさんに、そうではなくて「ほらっ」と弾むように歌うのだと、鍵盤の音・表情・身振り手振りなど、あらゆるものを使って指導する。
『うまれてきてくれて ありがとう』PV
これまでの彼の楽曲といえば、ベースをかき鳴らすロック曲であったり、ブラスで高揚させるスカパンク、また、近年のデジタル仕上げがなされたダンスミュージックなど、料理に例えると濃厚なソースとスパイスを織り交ぜた全部入りディッシュのようなメニューが特徴でしたが、感謝を綴った童謡にあてられた曲調は、お出汁でいただくうどんのように静かなもの。しかし、丼の底まで見える澄んだ清らかさを感じさせる作品でした。
ギミックを出来るかぎり取り除き、ただただ思ったことを素直に伝える。それは1回生らしい、奇をてらわぬ直球勝負でした。
真っ直ぐな感謝の気持ちに合わせて、ドキュメンタリー映像が映し出す家族の夕景。
ひとりひとりに宿る命だけれど、彼の人生は彼一人のものではないのだと再確認しました。まるで魔物に追われるように仕事に没頭し続けた彼は、今ここで家族と過ごす幸せを噛み締めていました。
そうして、新たな感情を得た彼の次のライフワークが見えてきます。
--「これから どんな曲を作っていきたい?」という質問に対して。
「一曲が世の中を変えるとか、そんな大それた事を臨むってことでもないですが、我が子達も生きていくこの世を良きものにするには何かを考えてはいたいです。」
ふとした瞬間のインスピレーションから生涯を共に暮らそうと決めた女性がいて、その人と共に授かった子どもたちがいて、欠けがえのない家族はやがて自分を支える存在となりました。これからも家族と共に居たい。だから彼は病魔にも打ち勝ち、今ここに生きています。
つんく♂が芸能人として稀有な存在だとか、歌手が声を失う数奇な人生とか、そういった要素はあくまで味付けに過ぎず、映像が訴えたかったのは、ひとりの人間が絶望に陥っても家族の支えがあれば再び立ち上がることが出来るということ。その尊さをひたすらクローズアップするドキュメンタリーになっていたと思います。
そんなテーマを裏付けるように、インタビューは最後このようにくくられます。
ディレクター「今のつんく♂さんの生きていく目標って何なんでしょうか?」
--ちょっと考える。
--やがてタイピング。
「今日も子供をギューって出し決めたい」(※「抱きしめたい」のタイプミス。)
「妻の笑顔をみたい」
「それだけですね」
「今は」
君さえ居れば何も要らない、そんなすごくピュアな状態がありありと伝わってきました。
迷いや悩みもひっくるめて、今のありのままのつんく♂が伝わってくるインタビューでした。まだまだ駆け出しの1回生、これから頑張ろうとリスタートを切ったばかりの手探りです。これからを生きる使命がどうのこうのという達観した思いには到底たどり着いていない、そんな「正解」には至らないエンディングに、最後までリアルで生身の人間・つんく♂を見る思いがしました。
そういった彼の心情がよく見えるよう、質問に迷っている間(ま)を含め、包み隠さず見せてくれた映像は非常に見応えあるものだったなあと思いました。
■
さて、『だから、生きる。』の中で明かされていますが、2013年の時点で彼の体調をおもんぱかった事務所サイドはつんく♂さんに総合プロデューサーを退くように勧めたといいます。
引き続きモーニング娘。と楽曲制作の面では関わって行くようですが、コンサートの構成や、グループが目指す目標であったり、様々な活動(例えばメンバーの卒業・加入の計画や細かい所ではニックネームなど)を通じた少女たちの成長過程を見せる演出のお役目からは退くこととなります。
しかし、彼の新しい人生は今回を契機に、ハロプロという一つのくくりの中での役割に代わり、枠組みを越えて多くの同じ境遇の人々に勇気を与える役割が待っているように思います。彼が自らの生き方を伝えることが、そのまま他の多くの人の支えになるからです。
早速、同じ病気を患った北斗晶さんに生きる希望を与えました。
この場をお借りして…
つんくさんの様に、私もいつかは癌で苦しむ人の心だけでも和らいであげられる様になれるかな~
/ご心配をおかけしてすみません。|北斗晶オフィシャルブログ そこのけそこのけ鬼嫁が通る Powered by Ameba |
「北斗晶」という強烈なキャラは、その率直な物言いから世の多くの母親が勇気づけられています。とはいえ、そんな彼女も人間であり、大病にはやはり心がヘコむ。でも、同じ病気と戦った仲間としてつんく♂さんが励ますことで、より近い支えとなる。乗り越えた彼の存在は、そんな多くの人々の励まし合いの連鎖の要として、早速力を発揮し始めていました。つんく♂さんのSNSにも同じ悩みを抱える人からのコメントが寄せられているといいます。
歌手として、プロデューサーとして、これまでファンに勇気を与えてきた彼が、今度は人間として、再び誰かに勇気を与える存在として再出発しているのです。
無論、今回の出来事はショッキングです。残酷だし、悲しいし、何より取り返しのつかない結果となりました。それは間違いない。でも彼は、家族の助けにより、最悪の事態を回避することに成功しました。それが幸せであることも間違いない。最近の記事でもこんな風に話しています。
「悪魔に『お前の寿命の代わりに大切な声をいただく』みたいな呪文にでもかけられたのかな、そんなふうに思ったりすることもあります。だったら歌声くらい持っていってね、その代わり楽しく長生きさせてもらうでって」
/特集ワイド:悪魔へ。歌声くらい持っていって。その代わり楽しく長生きさせてもらうで。つんく♂さん“語る” 毎日新聞 2015年09月29日 東京夕刊 |
だから、ファンとしても、ここから先の前向きなことを考えたいです。
こう考えてはどうでしょう。かつてシャ乱Qの点取り屋としてグラウンド縦横無尽に走りバシバシとシュートを決めた彼が、しばらくはベンチで指揮を採りゲームメイクをする立場でいました。しかし今回、彼は再びグラウンドの中に走っている気がしています。シュートは打てないけれど、彼の様子を直接見て躍動感を再び感じられる期待があります。だって、誰かに何かをさせるのではなく、自分が何かをしているのを目の当たりにしているのですから。
近畿大学での入学式も、今回のドキュメンタリーも、人間というプレーヤー・つんく♂の生き方が多くの人に勇気を与えています。ファンであれば、これを喜びに変えて、歌手を応援するのと同じような気持ちで一挙手一投足を見守りたいです。
そして、そんな中での吉報。プレーヤー・つんく♂が音楽番組でも再出発します。今週の土曜日、10月3日放送のNHK『SONGS』で以前からの盟友であるTOKIO長瀬智也らと共演を果たします。
ブログのお知らせを見ると、これまで楽曲制作をともにしてきた強力な「チームつんく♂」がこの番組のために準備したようで、とても楽しみです。
新たな人生を歩み始めたプレーヤーの姿を、今後も注目したいと思います。
◆ ◆ ◆
当たり前の家族の風景に、ふと立ち止まり、ポッケからスマホを取り出してカシャっと。
新しい生活の中で、彼は新しいインスピレーションのシャワーを浴びている。
*1:これは、たまたま延期が決定した日にしみずんさん(@shimizun_musume)のツイートを見て、気になっていたんです。 https://twitter.com/shimizun_musume/status/641641634602455040
*2:大雨のため、初回放送の予定が延期となった。
*3:例えば、人となりを紹介する映像。歌手としてシャ乱Q時代のものと、プロデューサーとして『LOVEマシーン』のMV、そして、手術前最後のおつとめとなったNY公演について。手がけた楽曲数1700曲以上という数字は関心ある人なら凄いことだと気付くかもしれませんが、ここもCDジャケットの画像をサラッと。ことさらに彼のエンタメ人としてのスゴさを伝えるのではなく、あくまで知らない人に向けた「つんく♂」という人物の基本説明です。