『モーニング女学院』で語られたハプニング対応に思うこと
11月29日放送の『モーニング娘。のモーニング女学院』にて、先日行われた道重さゆみ卒業コンサートについての話が聞かれました。収録したのがちょうどコンサートの翌日ということもあり、実にホットなトークとなりました。
中でも、とあるハプニングに対応したことの手応えを語る様子は、当日の映像が頭に蘇ってくるようでした。
乗り越えた娘。たちの記録
ハプニングを乗り越えた'14
--貴重な経験を通じて得られたものの喜びを隠し切れない生田
生田「ライブ中にちょっとハプニングとかもあったりしてさ、なんかそういうのもいい経験だったなって。最後に、やっとかなきゃいけない試練に侵されたじゃないけど、すごい、ハプニングも自分たちの今後につながるハプニングだったんじゃないかなって」
譜久村「うん」
小田「たしかに」
生田「その対応力だったりとか、その臨機応変さとかさ」
譜久村「うん」
生田「なんか、衣梨奈たち最初のツアーでさ、ハプニングがあったりとかして場位置とかも色々変わったけど、その打ち合わせも無くそのままやったけん。なんか焦りながら」
譜久村「うん」
生田「そういうのも、横浜アリーナでそういうことがあったっていうのも、運命かなって思いますね」(ドンっ)
小田「机を叩きました(笑)」
--あまり詳らかにするつもりではなかったが、過去への思いに触れたい譜久村
譜久村「でも確かに、9期が初めてコンサートした時もそういうハプニングがあって」
小田「はい」
譜久村「でも、高橋さん、とかは、すごくこう周りを包み込むじゃないけど」
生田「そうだね、上手いよね」
譜久村「そう。ほんとに高橋さんはすごいなあって感じたんだけど、9期はその時どうしたらいいか分からなくて、もう先輩について行くしかなかったんだけど、でも、聖も横浜アリーナで歌ってる時に高橋さんを思い出して、高橋さんなら今どうしてたかなとか」
生田「おっ」
譜久村「ってこと考えて」
小田「うわぁ、高橋さん見に来てましたもんね」
生田「そしたら!?聖がした行動は!?」
譜久村「うふふ」
小田「♪好きだな君が…(歌いだす)」
譜久村「怖いわ!何か(笑)」
全員「あははは」
譜久村「なんか迫ってきたぁ」
小田「いや、あれは~」
譜久村「ペン投げちゃった、今(笑)」
小田「すごい、もう、先生方もぉ~」
生田「先生方すごい泣いたって言ってたよ」
小田「もう道重さんが」
生田「そのメドレーで、あの、道重さんが」
小田「足を痛めて」
生田「そう、ハプニングがあって、その、動けなくなっちゃった時に」
譜久村「うん」
生田「聖が全力疾走で(笑)」
小田「道重さんのもとへ行き!」
生田「もとへ行き!二人曲を歌うっていう」
譜久村「いやだって、あのぉ、まあ『好きだな君が』を歌えるのは、最後?」
生田「うん、そうだね」
譜久村「なわけで、本当はセンターステージって言って、花道をメインステージから歩いて行って」
小田「客席の中にある…」
譜久村「うん、真ん中って言うんですかね、で、歌う予定だったんですよ。でも道重さんがメインステージ、いつものステージにいて、どうしようどうしようってなったけど、でも二人で歌いたかったの。隣で歌いたくて、だから、走って行きました。」
生田「うふ」
譜久村「でも、無我夢中過ぎて、走ってる姿はものすごくカッコ悪かった」(全員(笑))
小田「でも、カッコイイと思います、ホントに」
譜久村「もう、たぶん、あの、何か小学生とかよくさ、走りすぎてさ、あの足がもつれちゃう、転んじゃう子いるじゃん、たぶんそのレベルだった」
生田・小田「あははは」
譜久村「そのレベルで」
生田「ダサっ(笑)」
譜久村「そう、ダサいでしょ(笑)」
小田「でもそのがむしゃら感がカッコいいです、ホントに」
譜久村「いやホントに。でも道重さんがすごい、あの、笑顔で迎え入れてくれたっていうか」
生田「だって『フクちゃんのこと抱きしめたかったも~ん』って言ってたもん」
譜久村「うそ!?」
生田「うん、言ってたよ」
譜久村「言ってたの!?」
生田「うん」
譜久村「え、抱きしめてほしかったぁ~」
小田「あははは」
生田「『手広げたくなった』って言ってた(笑)」
小田「あははは」
生田「その瞬間」
譜久村「うわぁ、嬉しい~」
かつて乗り越えた記憶
譜久村・生田が引き合いに出していた9期最初のツアーのハプニングも痛ましいものでした。事態の背景や概要はこのようなところ。
- 2011年5月14日から光井愛佳が足の疲労骨折のため椅子に座ってのパフォーマンスとなった
- それにともない急なフォーメーションの変更が入った
- 翌15日の公演の最中、道重さゆみが足をつって5曲ほど出られなくなった
不測の事態により変更したことで負担がかかり、更に不測の事態を起こす。負の連鎖を呼んでいたわけですが、そんな公演中のピンチを吹き飛ばすように、他のメンバーは奮闘したのでした。その様子は観戦レポのツイートで熱く語られています。
以前、このまとめは何度か読んでいましたが、今の時点であらためて読んで気付くのは、同様のハプニングに見舞われた先週の卒コンと同じぐらいの熱量で語るツイートがズラリ並んでいるのですよね。モーニング娘。の歴史は繰り返すもので、各々がつながって引き継がれていくのだなあと再確認させられました。
当時の様子は、その後に販売されたDVDマガジンにて、本人たちの目線で語られています。『MORNING MUSUME。 DVD MAGAZINE Vol.40』より。
道重「復活して出てきた後も、みんなが『涙ッチ』で集まって歌ったんですよ、愛佳と私のところに。それはヤバかったですね。」
道重「ファンのみなさんの愛とか、メンバーの愛とかを感じたので、こういう状況(震災からまもない頃)だからいうのもおかしい話かもしれないですけど、モーニング娘。に出会えて良かったなと思いました。」
田中「愛佳がこっち(上手側)で座って歌いようとしたら、さゆは逆のほう(下手側)で立ちっぱで踊れずに歌うって時があって。で、普段モーニング娘。って位置(場位置)がついてるじゃないですか、何番に誰が立つ、どこに何に行くっていう。それを無視して、それをアイコンタクトでメンバーだけで『自分こっち行くけん、れいなあっちね!』みたいになった時の一体感。なんてアドリブ意識が強いのでしょうって思って、モーニング娘。」
田中「なんか凄い一体になった感じがしました。普段も一緒におるけど、普段は別に感じないじゃないですか。『モーニング娘。一緒だ』みたいなこと。でも、れいな、そのツアーの時は初めてに近いぐらい感じました。」
愛佳を中心にした最後のバンザイの直前、はしゃぐ愛ちゃん
愛ガキが愛佳の側についてハケていく。
れいながガキさんの代わりに「楽しかった人ー!?」
そして、それを目の当たりにした新人9期(下手側にいた鞘師・鈴木・生田。譜久村は上手側にいた)
フクちゃんにはあの日の愛ちゃんやモーニング娘。の自然な行動がとても印象的だったのですね。
補い合うモーニング娘。
今回の出来事がなぜ素晴らしかったか。話はもう少しさかのぼります。
高橋愛の原体験
はっちまんさん(id:hatchman / @aimania0914)が、フクちゃんが愛ちゃんを思い出したことの意義をツイートしていました。
譜久村が高橋の名前を出したときに、大部分の方がファンタジーDXの大阪を思い出したと思う。事実、譜久村の発言はこのことを指しているのは明白だから。ただ、そこで高橋の名前が出たから泣けるってのは間違いなくあるんだけど、それだけじゃない。
— はっちまん。 (@aimania0914) 2014, 12月 1
道重前の大リーダー的な存在ではあるから造作もなく、危急存亡の時に指示が出せたとあるいは思われる人もいるとは思いますが、多分違う。勿論それが出来る人かもしれないけれど、多分。むしろ、高橋愛の原体験がそれをさせたと思う。
— はっちまん。 (@aimania0914) 2014, 12月 1
道重や田中や新垣に次ぐ鉄人ぶりを発揮した高橋愛がステージに立てなかった時間がある。たしか、キャリアにおいて高橋愛はコンサートを欠席したことがなかったはず。しかし、吉澤卒業ツアー終盤の横須賀昼公演で捻挫し病院へ。その後、夜公演中途から戦列復帰。無論歌のみ。
— はっちまん。 (@aimania0914) 2014, 12月 1
高橋愛の原体験、これは『モーニング娘。コンサートツアー2007春 ~SEXY8ビート~』でのことで、やはりDVDマガジンで振り返り語られています。以下、『Morning Musume。 DVD MAGAZINE Vol.15』より。
高橋「吉澤さんがフォローしてくれて『ツバ塗っときゃ治るから』って言ってくれて、でも本当に出たくて、『出ます!出ます!』って泣きながら言ったんですけど、とりあえず出なくて、そのままアンコールやって(昼公演が)終わったんですけど、その時にメンバーの有り難みっていうのを知りましたね。」
高橋「怪我して分かったことってすごくあったので。ファンの皆さんの温かさだったりとか、メンバーの大事さとか。本当に大好きって思いましたね。スゴい…あたたかいんですよ。(客席のファンが)おかえり!って言ってくれたり、頑張れ!って言ってくれたり (略) アンコール終わって、ばぁ~ってみんなで一列になって(バンザイを)やるんですけど、私が上がれないからみんな(舞台下段へ)降りてきてくれたりとか、『歩いてる』の歌詞とかも、「みんながいるから」って歌詞だからうわーって泣いちゃって、感動しちゃいましたね。感動したっていうか、もっと好きになりました、みんなが。」
夜公演のオープニングのMCで報告するリーダー吉澤。
吉澤「高橋愛なんですけれども、1回目の公演の時にですね、ちょっと足を怪我してしまい、今治療に行ってるんですけど、戻ってき次第、すぐ踊りたいと歌いたいと言っているので!(歓声が上がる)皆さん、帰ってきたら応援してあげてください!心配かけました、ごめんなさ~い!」※ぶっきらぼうな言い方が、事の深刻さをやわらげている。よっすぃ~らしい。
病院から戻ると、すかさず近寄って一緒に歌う吉澤。
同じくミキティ。
遅れてガキさんも。
そして、『歩いてる』の間奏で泣いている高橋の元に駆け寄る亀井と道重。
サビを一緒に歌おうとやってきたガキさんは、一緒になって泣きじゃくる。
当時、ガッタス以外に涙を見せないとネタにされていたミキティも目尻の涙を拭う。
本人の口から報告。
新垣「(涙声で)愛ちゃぁ~ん、大丈夫?」
高橋「大丈夫です!ただいまー!お待たせしてすいませんでした。病院行って!捻挫だったので!すいませんでした!」※ひたすら元気に伝えることで精一杯だった。
アンコール後、最後のあいさつで、全員が舞台下段へ降りて8人揃ってバンザイ。
バンザイの後、感極まって隣の小春にも泣きつく。
「もっと好きになりました、みんなが」
愛ちゃんの言う「みんな」とは、メンバーもスタッフも応援してくれるファンも全部ひっくるめて、本当に「みんな」なんですよね。『ひとりじゃないから みんながいるから』と歌いながら辺りを見渡して、自分の周りの360度みんながあたたかく見守り支えてくれていることを知ります。彼女にとって『歩いてる』はモーニング娘。を取り巻くすべての人の有り難みを知る歌となりました。
コンサートに限らず、怪我や病気の痛みや苦しみは、患ったものにしかわからないものです。同時に、どのようにしてもらいたいのかを学ぶ機会でもあり、それを経験することで、他の誰かが辛い時に然るべき接し方が出来るようになります。愛ちゃんも受け取ったものを還元してきたと思うのですよね。
高橋リーダーのもとで活動したメンバーは、高橋愛の卒業時、彼女を一言で表すとどんな人か訊かれて「愛ちゃんは優しい」「名前の通り、愛のある人」と答えていました。今も昔も彼女は極端にボキャブラリーに乏しく、周りの誰に対しても「大好き!」としか言えないことが多いのだけど、それは決して適当に言っているのではなく、感受性の強い彼女なりに思うところが沢山あり、それを言葉に表すと結果的に「大好き」になってしまう。だからその分、言葉に出来ない思いをステージ上での歌やダンスや振る舞いで表現してきた。そういう人です。
あの瞬間、フクちゃんは優しかった先輩を思い出して、迷うことなく踵を返したのでした。
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モーニング娘。は一年を通じて沢山のコンサートを行いますが、ツアー中のすべての公演でメンバー全員が先発スタメンフル出場します。補欠は居ません。よって、誰かが抜けた時には他の誰かが助けるしか手はありません。
上で振り返った2007年の高橋愛のハプニングの際、映像には収められていませんが、急場をしのぐため高橋パートを歌ったのは田中れいなでした。
そして、そのれいなが急病で舞台を離れる事態が起きた際、急場をしのぐため鞘師や石田が歌割を補った2013年春ツアーは記憶に新しいところです。
また、この2人もそれぞれ、怪我で出られなかったり座ってのパフォーマンスをした経験があります。
補う、助け合う。モーニング娘。の活動は、人知れず助けたり助けられたりが連鎖しています。コンサートにハプニングはつきもので、時には『Mステ』で病欠が出たこともありましたが、いつも仲間同士カバーしてきました。
個々のメンバーの責任は、まず「自分の割り当ての歌とダンスをこなすこと」ですが、モーニング娘。の責任という意味では「コンサートを予定通りやり遂げること」が求められます。仲が良かろうがライバルであろうが、同じ釜の飯を食う仲間として、同じ目標を持った者同士がなんとかしようとする。その責任感と思いやりとプライド、そしてファンへの感謝、色々な感情が相まって、いざという場面では肩を寄せ合ってきました。
その独特の絆が時代を変えて連鎖していく様子を「永遠の愛の形」と表現した亀井絵里の一言はやはり名言です。
フクちゃんのとっさの行動は、単に憧れの先輩に倣っただけでなく、モーニング娘。として補い合う仲間意識を受け継いだ瞬間でもありました。すなわち、モーニング娘。がこれからも変わらず続いていくことを証明したわけです。
「フクムラダッシュ」は、次期リーダーが身をもって新しいモーニング娘。の姿を体現する素晴らしいスタートダッシュとなったということですね。
ファンがあの場面に心惹かれるのは、モーニング娘。らしさが凝縮された場面を目の当たりにしたからではないでしょうか。
◆ ◆ ◆
痛みや悔しさが如何ばかりであったか計り知れませんが、大好きな『歩いてる』の「みんながいるから」「ひとりじゃないから」を最後の日に体感できたことは不幸中の幸いだったと思います。